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歳時記のある暮らし
2024 / 04 / 01 ( Mon )
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ふくちゃんの5回忌
2024 / 02 / 29 ( Thu )
    フクちゃんの5回忌

令和6年2月28日は、フクちゃんの5回忌です。
フクちゃんが亡くなって、私の一人暮らしも5年になります。
毎朝、起床すると、フクちゃんが、何時も座っていた、ソファーの同じ場所に飾った、フクちゃんの実物大の写真に 「お早う」 と、声をかけ、屈伸運動、神仏に手を合わせ、1日が始まります。
日常の生活は、炊事、洗濯、掃除、整理、の他は、1回20分、1600m程度の散歩を、1日に3回することを心掛けています。
また、パソコンで、中国や韓流ドラマを楽しみに見ています。
今のところ、大きな病気をすることも無く、周囲の皆様に見守って頂き、親切なお心遣い、温かい声掛けを支えに、頑張って、無事元気に過ごしています。

フクちゃんが亡くなって直ぐに、リビングルームの壁一面に、A3の大きなフクちゃんの写真を並べて取り付けました。
スマートフォンのディスプレイ、パソコンのモニターの写真もフクちゃんの映像にしました。

写真は、職場の娘時代、結婚後の生活、海外への出発時、コスタリカの生活、
メキシコ旅行、親戚の結婚式、最近の家族写真を、ホトレタッチして作成した思い出の多い大切な写真です。

多くの、フクちゃんと家族の写真が、身近な、目の前に沢山ありますので、何時も目に入り、当時のことを思い出します。

現実には、フクちゃんは、実在しません。声は聞けませんが、何時でも、身近なフクちゃんの顔や姿が目に入ります。
私は、フクちゃんの写真、映像が有る暮らしをしています。
心の中で一緒です。

今まで、私は、仕事、私生活で、難事や不本意な出来事で、悩み、苦しく、辛い状況の時に、何時も、「フクちゃん」「フクちゃん」と、大きな声で、ふくちゃんの名を呼びます。
外国の空に向かって叫んだこともあります。
気持ちが、落ち着き、穏やかになります。
私には、頼りになる味方のふくちゃんが、ついていると、気を取り直して頑張っています。

可笑しいと、思はれますが、私は、今も毎日、何回も、何回も、気になる事が、有ると、時と、場所に関わらず、「ふくちゃん」「ふくちゃんと」と、大きな声で、名を呼びます。心が安らぎます。念仏のように、自然に声が出ています。

28日は、ふくちゃんの5回忌です。位牌に手を合わせ、現実に、ふくちゃんは、実在しないのだ、遺骨に、成ったのだ思いますと、瞼がジーンと熱くなり、涙します。

私は、100歳がそんなに遠くない年になりました。
いろいろありました。
今は、穏やかな日々です。

皆様に、ご迷惑をお掛けしないで、最後を迎える事が出来る様に、心して、努力しなければと思い、日々過ごしています。
10 : 06 : 53 | 随筆 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
フクちゃんの庭
2023 / 04 / 17 ( Mon )
hukutyan3aのコピー

庭1

庭2

庭3
雪
庭5
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庭6
うめ
こぶし
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2022 / 10 / 06 ( Thu )
    妹
私には、4歳下にあや子と言う名の妹がいます。92歳になります。

現在は、歩行が出来ず、認知症も進み、一人で、身の回りの事が出来ません、息子夫婦の介護を受けて毎日の生活を過ごしています。

私は、96歳の今になって、自分の今までの生きざまを振り返って、妹には、良い兄とは言えなかったと悔やんでいます。

妹は、兄の私と一緒に居るのを喜び、懐いていました。
そんな妹を、私は兄として、可愛がり良い兄だったかと、今になって、
その頃を振り返って考えると、悔やまれて、御免ね、御免な、と詫びています。

私たち兄妹は、生活が、楽ではない家庭に育ちました。 
二人共、小学校を卒業すると、すぐに働き家計を助けました。
若い女の子です、流行りの服を買うのを、遊ぶのも我慢して、家の生活第一に考え、不平不満を、言わず、よく働きました。

私は、自分本位で素直でない、ひねくれた、良いとは言えない性格で、親不孝
者でした。

第二次世界大戦中の、昭和18年に、新聞や映画を見て、少年兵に憧れ、親の心や家庭の事情も考えないで、少年野砲兵に志願しました。17歳でした。
今になって考えると、何と思慮のない無謀な、決心、生き方をしたものかと、恐ろしく、悔やまれます。


そんな不心得者の私を、戦時中の生活環境の良くない時期に、千葉の野戦砲兵学校まで、面会に両親と、まだ小学生だった妹は来てくれました。
食糧事情の悪い時世に、腹を空かせているだろうと、ぼた餅を食べさせてくれたのを思い出します。
旅慣れない両親と妹が、交通手段や交通状況の良くない時に、旅費を工面して、当時は、大変に遠かった、千葉県の四街道まで、長い時間をかけて苦労、難儀をして、夜行列車で面会に来てくれた事を考えると、切なくなります。


昭和20年3月に、少年野戦砲兵学校を卒業し、満州の牡丹江の近くの部隊に赴任しました。
私は運良く、昭和20年6月に、本土決戦のために博多湾の守備、防衛の任務に就くために、日本に帰り、ソ連に、捕虜され抑留される難を逃れる事が出来ました。

日本に赴任して博多湾を望む山に、敵の襲来に備える為に観測所を設ける任務に就きました。
観測所の完成を待つこと無く2ヶ月後に終戦になり、1ヶ月後の9月に故郷の家に帰還しました。

戦死しないで無事帰還し、妹や両親、家族と再会が出来た事を、感謝しています。
幸運を感謝しなければと心に念じて居ます。


終戦直後の生活環境の苦しい時期でした、急いで9月中に近くの電機会社に就職しました。

戦後の混乱している時期で、会社でも、左翼的な労働組合の長期なストライキ闘争が行われ、休業、アルバイトなどで、生活をしていましが、ストライキが大変に長引いたので、電機会社を辞めて、家庭の事情も有り、近くの繊維会社に就職し、35年間、定年退職迄働きました。

昭和44年から昭和48年迄、海外の合弁会社に出向し、家族3人で中南米の国コスタリカで4年弱、日本を離れて生活をしました。

私の居ない日本の家庭を、妹は、守ってくれました。
海外に居て日本の事柄に対応が出来ない私は、妹を頼りに、無理な、色々な厄介な事柄の手続きや交渉を頼み、対応してもらいました。
昭和45年(1970年)の頃で、国際電話の知識もなく、慣れない事で、何かと苦労が多かったと思います。
何かと、当たり前の様に、何でも、妹に頼んで、してもらった事を、振り返って考え、そんな妹に対し、私は、兄として、きちっと接して、言葉にして、私の気持ちを伝えていただろうかと反省しています。

今になって、私の気持ち心情を伝えたいこと思いますが、妹の健康状態を考えますと、その術が無く、反省、後悔ばかりしています。

認知症が、少し進んだ時期に、一度、見舞に行きました。

久しぶりに、妹の顔、姿を見たら、ひとりでに、妹の、手を握り、{兄貴だ}分かると尋ねました。
弱く、小さな声で、{岩男さんだねー}と言葉が返ってきました。

家庭の事情で、その後は見舞いも行けませんでした。

今の、妹の健康状態は、認知症が進んで、一番身近な、日常に接している息子夫婦が、辛うじて分かる程で、話す事も、何も伝える事も、出来なくなりました。

妹に、私の気持ちを、伝えたいと思いますが、もうその術がありません。
高齢になり、生活に、時間、や行動が、多少、自由な時期が有ったのに、何故、妹と一緒に語り過ごす,機会や場所を、持たなかったのかと悔み後悔をしています。

口にはしませんが、あや子は、私の可愛い妹です。

優しい言葉や、温かい言葉を掛けた事が有りません、妹は、苦しい家庭の為に一番、尽くして呉れました。
兄の私を、慕い、大切にし、私を助け支えて呉れました。

妹に、苦労を掛けたね。何時も兄の私の事を良かれと願って支えて呉れて有難う、と気持ちを伝える事が出来ません。
今になって、優しく温かい兄でなかったことを。御免ね、と、詫びる事もできなくなったと、思いますと、ジーンと涙がにじみます。

私は、フクちゃんに先立たれ一人暮らしの生活ですが、何かと、皆さんのお世話になりながら認知症にもならず、耳は遠く成りましたが、毎日を元気に過ごしています。感謝しなければと思います。

然し、フクちゃんに先立たれ、妹は長い看護生活を考えると、{私だけが・・・}と、思うと、申し訳ない様に思います。

私はこの先、どの様な生き方が出来るのか分かりませんが、天命に従って、素直に、正しく生きる事に努めたいと思っています。

穏やかに、安らかに、日々が過ごせるようにと願っています。



10 : 22 : 30 | 随筆 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
桃とさくらんぼ
2022 / 09 / 14 ( Wed )
    桃とさくらんぼ

今年は桃をよく食べました。
桃の初物から終わりまで、毎週、生協に注文して、信州の桃を食べました。
フクちゃんは、信州の桃の白い花の話や、皮を剝いて食べる ときの心得を話してくれました。

フクちゃんは、さくらんぼが好きで、値段のあまり高くない、アメリカ産のさくらんぼを、食べていました。
私は、フクちゃんが好きだった、さくらんぼの「佐藤錦」を、注文し、食べることにしました。
フクちゃんと一緒に食べる事は出来ませんが、仏壇のフクちゃんに供え、娘や弟にも、分けて食べました。

梨、梨は、好んで食べませんが、車を運転して居たころに、近くの梨園の街道で売っていた梨を、フクちゃんと一緒に買いに行ったのを思い出します。



14 : 19 : 03 | 随筆 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
フクちゃんの庭
2022 / 05 / 01 ( Sun )


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16 : 03 : 28 | 随筆 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
フクちゃんの三回忌
2022 / 02 / 28 ( Mon )
       フクちゃんの三回忌

 私は、子供の頃から、毎日、朝夕に、神様、仏様に手を合わせています。
 フクちゃんが亡くなってからは、一日もかこ欠かさずに、朝夕、読経しています。

 私は、日常生活の中で、何も無いのに、何時、何処でも、『フクちゃん、フクちゃん』と声を出して呼んでいます。
南無阿弥陀仏の念仏を唱える様に‥…。
 
心が落ち着きます、心の支え、お守のりさんに成っています。    

 今は、幸いに病気もせず、家族や、人様に余り迷惑を掛けることもなく、フクちやんの沢山な写真に囲まれて、無事に平穏な日々を過ごしています。
 
 2月28日は、フクちゃんの三回忌です。

 もう直ぐ春です。フクちゃんと一緒に、フクちゃんの庭で、今年も、春を迎えるのを、楽しみにしています。


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13 : 22 : 31 | 随筆 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
死について
2021 / 12 / 19 ( Sun )
          死について

フクちゃんが、私の傍から居なくなって、死に対する気持ちが変わりました。
以前は、自分の命がなくなり、日常生活をしていた私の肉体、存在していた私が、
この世がら消えて無くなると考えると、言葉では表現できない、恐ろしい様な、
気味の悪い気持ちになりました。なるべく死については考えるのは避ける様にしていました。
長い年月を、一緒に過ごしたフクちゃんは、この世を去って、私は一人暮らしになりました。
私は、考えていた以上に長生きしています。
フクちゃんが居ない、今は、何時お迎えが来ても悔いは 無く平常心で心安らかに、死を受け入れられる心境です。
今の私は、病で苦しまず、寝込んで、皆さんに迷惑を掛けない様に最後を迎えられる事を願っています。
10 : 42 : 03 | 随筆 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
mas o menos
2021 / 09 / 11 ( Sat )
    Mas o menos

スペイン語で、、マス を メノス 直接の意味は。多いと少ないです。

お元気ですか? と聞かれた時に、マス ヲ メノス、(まあ、まあ)と使います。
仕事の結果を、評価する時も。Mas o menos と、私はよく使いました。
永い時間、記憶と印象に残っている、スペイン語です。

私の人生95年も、振り返って見ますと、mas o mens だったと思います。

私は、経済的には、裕福とは言えない家の長男に生まれ、経済的には恵まれないで、自由にお金が使える、周囲の友達を羨ましく思った青春時代を送りました。

恵まれた、生活環境では有りませんでした。

所帯を持ち子供も生まれ、人生いろいろ、95年を生きてきました。

今は、一人暮らしですが、皆さんにいろいろお世話に為りながら、不自由無く日常生活を過ごしています。恵まれた生活だと思います。

Mas o menos の、人生でした。 良しとしなければと思っています。

フフクちゃんと縁が有り一緒になれて、neosi を mas に、良くして貰いました。

クちゃんに感謝して日々を過ごして居ます。






08 : 56 : 41 | 随筆 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
6月20日
2021 / 06 / 19 ( Sat )
6月20日
 
 6月20日に、2回目のコロナワクチンの接種をします。

 6月20日は、父の日です。そして私の、95歳の誕生日です。
又、甥の結婚記念日です。

偶然の巡り合わせか、天の配剤、なのか、知る由もありませんが、お祝い事や、行事が重なりました。

今までにも、間一髪で、難を逃れて助かった事も有って、、運命のような、人には理解できない、何かの力を感じる事が有りました。

 今まで、生きて来た私の人生で、最大とも言える、幸運は、ふくちゃんと出会て、一緒になり、共に人生を過ごした事です。
 遠い信州の地で、生まれ育った、フクちゃんと、伊勢の私が、結ばれる事の出来た縁を、幸運を感謝しています。

 私は、高島暦の、1年の、また毎月の運勢を見て、毎日の生活を、無事、息災に、過ごせるように心掛けています。

 毎日かさず、朝夕、神仏に手を合わせ、皆さんに迷惑を掛けないように、健康で過ごすように願っています。 

 これからも、健康、元気で生きたいと願ています。

 

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